氷河期の思考


 就職氷河期。実に不遜な言葉である。たかだか日本の、せいぜいが10年単位の経済的現象を、当然のように億年単位の地質学的現象に喩えようなどとは。だが、不遜にも氷河期と名付けられた時代が、そこに生きた人間の精神に「氷河」の痕跡を残すなら、その痕跡から鋳造された作品には、地質学的単位が宿るかも知れない。比喩に過ぎない筈の氷河期を、本物の氷河期として解釈する切実性。いくらかの雑な勇気をもって、これを仮に「氷河期の思考」と呼んでみようか。


 半期おきに刊行し、5号目となる今回のAREでは、川原礫、奈須きのこ、岩崎大介、長谷敏司といった作家とその作品について、これまでの本誌よりもやや長い論考を掲載している。これらのラインナップは、意図して並んだものではなく、本サークルのメンバー各々が、自身の関心に寄り添ってピックアップした結果である。「就職氷河期」という言葉の定義にもいくつかのヴァリエーションがあるが、ここでは最も一般的と思われる19711980年代前半に生まれた世代としてみよう。


 ライトノベル作家・川原礫は、生年月日こそ明かされていないものの、20084月に締め切られた第15回電撃小説大賞でデビューしており、デビュー時の年令表記が34歳となっていることから、逆算して生年は1974年前後と考えられる。首都圏の難関大学である青山学院を卒業してから作家になるまでの間、彼がどこで何をしてきたのかは公表されていない。


 同人エロゲーで活躍してきた奈須きのこは、公表プロフィールによれば1973年生まれ。奈須の作風を「イジメ世代の文学」と形容したアニメ制作者もいるくらい、特に濃密な世代的刻印があるとされており、実際にひきこもりからの同人ゲームでの一発逆転(おそらく逆転後もひきこもってはいるのだろうが)を果たした、氷河期世代の成功者の象徴のような存在である。


 乙女ゲームのディレクターとして活躍する岩崎大介は、1976年生まれ。乙女ゲーディレクターへは教員からの転身であるが、ゲーム業界人としてはどちらかといえばインテリ的傾向のある岩崎が、一般に食いっぱぐれのない資格職とされている教員としてキャリアをスタートし、やりがい搾取の総本山であるゲーム業界に身を置くようになった流れについては、詳しくは本人のブログ等でお読み頂きたいが、シビアなリスク計算と過剰な内面性の両極に引き裂かれる在り方もまた、氷河期の時代精神と言えるだろう。


 ライトノベルでデビューし、現在は(比較的)本格路線のハヤカワSFに主戦場を移している長谷敏司は、1974年生まれ。Wikipediaでは有川浩との対談をもとに「大学卒業後は会社に勤めたが、衝動的に退職。その後は専門学校に通う生活をしていたが、25歳を前にして病気を患い、危機感を抱いて作家への道を志し、『戦略拠点32098 楽園』で第6回スニーカー大賞金賞を受賞」とされている。


 SFやミステリなどのジャンル小説を志向する作家が、デビューの為の方便としてライトノベルを利用する傾向は、当然ライトノベルという商品カテゴリの成立を前提としている。そしてラノベこそ、「氷河期」的経済状況が最も強く反映された商品である。単価当たりの償却期間を最大化し、かつ可読性を高め、版権展開に最適化した文章メディアとしてのライトノベルの姿は、実際の氷河期のはじまりにおいてマンモスをはじめとする哺乳類が体温効率を高める為に大型化していった過程と類似する。


 だが、場当たり的に身体を大型化した動物達は、氷河期の進行と共にその巨体を支えられるだけの餌にありつけなくなり、地上から消えていった。ならば、ライトノベルや、ライトノベルと隣接し語彙と想像力を共有する領域で活躍する、彼らの「氷河期の思考」もまた亡びるのか。それは分からない。かりに亡びが訪れて、氷河と、食い扶持の少なさを氷河に喩える軽薄な思考を道連れにしたとしても、じっさいに「氷河期」を過ごした者達の、氷河期の思考だけは、そこに形を残すだろう。(GS